とにかくノンフィクションだからという理由で、なんとなく読んでみたけれど、辛い。四半世紀以上前に起きていた、いわゆる「酒鬼薔薇事件」のような、高校入学したての少年が同級生を刺殺し首を切り落とした事件について、「酒鬼薔薇事件」をきっかけに、著者が被害者家族の28年間を克明に記載した、被害者家族独白本だった。
結果から言うと、被害者は少年法に守られ前科もつかず3年余りで退院し(もちろん出所とは言わない)、最高学府で教育を受け弁護士として、素性がばれることもなく地元の名士として活躍していた。一方の被害者家族、殺された少年の父・母・妹は日常を奪われ心を壊され怨むこともできず、何とか家庭だけは崩壊しないよう薄い氷の上を歩くように我慢に我慢を重ね感情さえすべて押し殺して生きてきたというのだ。母親は精神を保つために別人格に自分を乗っ取られることもあった。妹は大学に行くこともかなわず、行き場のない苦しみを、リストカットで晴らした。父親は家族のの柱として、恨み事一つ言わず、加害者少年からの謝罪も賠償もされないままガンで亡くなった。さらにこの妹は結婚し娘をもうけるが、その娘は高校受験の直前に伯父(被害者少年)の死にまつわる真相を知り、ショックで高校に行けなくなった。そんなに深い心の傷は時間では癒せず、更に代々受け継がれてしまった。
このノンフィクションの中では、加害者少年は弁護士になったわけだから、世に言う”更生”のなかで、かなり成功した例のように聞こえる。しかしこの加害者というか殺人犯は、謝罪もしなければ(作中「なぜ謝らなければならないんだ」というせりふもある)たった700万の賠償金も踏み倒し、「お互い決着をつけたほうがいい」という被害者母に向かい「おまえ、いくつになった?」と訊く。作中で著者は、「加害者が心から被害者に謝罪し、被害者がそれを許せた時に初めて更生したと言えるのではないか」と書いているが、その通りだと思う。社会的にまともな人間と、人間的にまともな人間はけしてイコールではないと思う。
「なぜ若いと罪に問われないの?」そんなシンプルな問いがかき消される。未成年は社会に守らないといけないから自由が制限される分、責任は制限付きで良い――じゃあ全自由を与えよう。選挙権も婚姻の自由も職業選択の自由も、飲酒も喫煙も。そのかわり全責任を負って下さい。
少年法、反対。
Wow! ノートはまだありません
Aya Yabumoto