「そう思わないようにする」というなら
「そう思ってしまっている」ということです。
・2004年8月 200本安打に残り1本の現状を意識するかときかれたときの言葉です。
苦しいことの先に、あたらしいなにかが見つかると信じています。
・2004年7月、チームが最下位の状態に「こんなことは子どものときから一度も経験したことがありません」といったあとの言葉です。
今は、自分がわからないことに遭遇するときや、
知らないことに出会ったときに
「お、自分はまだまだいける」と思います。
・2004年1月 ファンを前に語った言葉です。
打てない時期にこそ、勇気を持ってなるべくバットから離れるべきです。
勇気を持ってバットから離れないと、もっとこわくなるときがあります。
そういう時期にどうやって気分転換をするかは、すごく大事なことです。
・2002年のシーズンの後に「ヒットが出ないときに選手がどういうことを考えるかというと、常にバットを握っていたい、それで何かを見つけたいということですが、そういうことをすると、結局、きりかえができなくて、もっと苦しくなっていきます。気分転換は野球選手である以上、永遠に持ち続けるテーマ」といっていたときの言葉です。
「できなくてもしょうがない」は、終わってから思うことであって、
途中にそれを思ったら、絶対に達成できません。
・2004年、安打記録達成前の気持ちをふりかえったときの言葉です。
ぼくがいつも自分のことをあまりいわないのは、
いいわけにきこえるからです。
・「自分の調子をジャッジしない」ということについて、いつもいっている言葉です。「どう取られるかわからないことは、行動で示したほうがいいと思っています」
ぼくも、グラウンドに行きたくない日はたくさんあるのです。
そのときには職業意識が出てきます。
「仕事だからしょうがない」と、自分に言い聞かせるときもあるのです。
・2003のシーズン終了時の言葉です。「もちろん『これは仕事だ』という感覚も持っています。プロ選手ですし、それで給料をもらうわけですから、当然持っている意識です。球場に行きたくない日は、いっぱいあります。ただ、おそらく野球選手の中においては、まだ、野球が趣味であるというような感覚を持っているというか、趣味という感覚のほうが強い人が、パーセンテージでいうと多いと思います」
なかなかうまくいかないことをのりこえようという自分がいて、
のりこえられたら、それは最高です。
2003年のシーズンが終了したときの言葉です。「日本で7年間、アメリカで3年間、10年やってもあたらしいプレッシャーが出てきます。そういう野球というスポーツの奥の深さがおもしろいですよね。10年やってもあたらしい気持ちが生まれてくることによろこびを感じます」
ちいさいことをかさねることが、とんでもないところに行くただひとつの道。
2004年10月、258本安打を達成した直後の会見で「激アツでしたね、今日は、言葉にはできません。少なくともこれまでの野球人生のなかでは最高の瞬間でした」といったときの言葉です。
ムダなことを考えて、ムダなことをしないと、伸びません。
2004年10月、シーズン前にさまざまなことを試すことについて「キャンプでいろいろと試すことは、ムダではありません」といったときの言葉です。
なにかをしようとしたとき、失敗を恐れないで、やってください。
失敗して負けてしまったら、その理由を考えて反省してください。
かならず、将来の役に立つと思います。
・2003年4月 アメリカの小学校をおとずれたときの言葉です。
このなかで、将来、なにかになりたいという人はいますか。
今日、ぼくがいいたいのは、
目標を持ってもらいたいということです。
・2003年4月、アメリカの小学校をおとずれたときの言葉。「目標を持って進んでいくとかならず障害が出てきます。ぼくもみんなからバカにされたこともありました。プロ野球に入るときもアメリカに来るときも『おまえにはできない。やめたほうがいい』といわれましたが、もし、そんな声に出会っても、そんな声をきく必要はありません」
夢をつかむことというのは、一気にはできません。
ちいさいことをつみかさねることで、
いつの日か、信じられないような力を出せるようになっていきます。
・2004年12月24日、日本の野球少年に向けての言葉です。「ぼくもみんなと同じような年のときには、汗水をたらして泥にまみれて、みんなと同じように野球をしていたということをおぼえておいてもらいたいです。みんなも、明日から毎日、野球も勉強もがんばってください」
時間がある時に何気なく読んでいます。
何回読んだだろう・・・
イチロー選手の凄さ・強さが自分自身にパワーをくれます。
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Tomo Kato