表示順
20年間、積ん読であった本書を何気なく手に取り、一気に読んだ。購入動機は1992年に北京飯店で本場のマーボ豆腐を食べたこと。今回、本書を読んで不思議な感覚に捉えられた。1946年に北京から引き揚げた著者が1987年に北京を再訪して、懐旧の情を抱いて北京を歩いて成ったのが本書であるが、この1990年に北京を初めて訪れた私には、著者が描く1987年の北京に対して懐旧の情を抱かざるを得なかった。
北京の日本人墓地について触れたところで、ちらと中江丑吉と鈴木言一が出てきたりする。また今年の3月に訪れた魯迅旧居も描かれたりしていて、私はもう一度北京に行きたくなった。
1971年の刊行です。基本的には政治の季節は終わっていました。その象徴が陽水の「傘がない」であり、そして谷川俊太郎の「うつむく青年」であったでしょう。正方形の本なんですよ。
丸山真男が亡くなってのちの刊行。本来が公刊を意図しての問答ではないので、高望みをすべきではない。荻生徂徠の翻訳論(われわれは論語孟子は翻訳で読んでいるだけだ)、新井白石、本居宣長などについては興味深い。また、馬場辰猪が明治6年に、日本が英語を採用すると、階級差が生じ、一つの国をなさなくなる、と主張していることを、丸山が紹介している。これは極めて重要な論点だ。
2012-10-05 07:56:22