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読了。これはひどい、の一言でしか現せないです。何がひどいのかを書こうとするのなら、とても1000字では書き切れません。地震発生時の避難場所、避難時に持っていく物品(これが大火災の原因にもなっている)、そのあとのデマによる悲惨な朝鮮人、社会主義者、そして、まったく関係なく間違えられて殺害された何百人の人たち、死体の処理と衛生管理、多くの問題が山積みであったことが分かります。私たちはここから学び取らないことがたくさんあります。あまりのひどい災害と被害の内容に何度も読むのをやめようかと思いましたが、目を背けるべきではないと思い、読みました。失敗は繰り返される、だけど、なかった事にしてはいけない、私たちが今、できる事は何なのか、今回の震災と確実に起こると言われている地震の予測を通して本気で考えていかなければならない、と感じました。
2012-06-16 17:01:04戦時中の事とはいえ、絶対脱獄困難と言われる刑務所を4度も脱走。逃げられないように後手錠に足枷、今なら考えられない非人道的な扱い。作業に出すと逃亡するかもしれず、独居房にいれたまま。それでも、絶対無理、と言われていた手錠を外し、お味噌汁で金属を腐食させ、脱獄。脱獄する事にほとんどの生涯を費やした、彼の心を最後に開いたのはなんだったのか。戦後の官の体制変化だけだろうか?そして、彼は何を求めて脱獄を繰り返していたのか。
戦時中の食料事情と戦後の混乱っぷりも合わせて分かる本でした。
この本には明治29年、昭和8年、チリ地震津波の3つの津波のことが書いてあります。明治29年は人々は津波の事がよく分からず、また、宴会中の家も多かったということで、被害は拡大。昭和8年は明治時代の教訓が活かされてちょっと被害は縮小。チリはまさか、地震がないのに津波が来るとは、という事で予兆に半信半疑だったものの、避難する方法、防潮堤の設置などで被害は次第に縮小している。
この本の最後のページに載せてある早野氏(S8、S35のチリ地震、S43の津波を体験)の言葉がとても印象深い。
「津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」
ちなみに明治29年の死者数は26360人。
昭和8年の死者数は2995人。
昭和35年のチリ地震は死者数105人。
月並みな言葉になるが、風化させない、という事が被害の拡大を抑える一助となるのであろう。これは津波だけではなく他の事でもいえること。
摂氏150度の中での隧道工事。いくら水をかけてもサウナ状態。想像を絶する世界です。そして、技師と作業員との関係は最後の所で決して良好だったわけではない、ただの感動を味わう本ではありません。
2012-09-10 05:55:20