「弱さ」は「強さ」の欠如ではない。それ自体の特徴をもった劇的でピアニッシモな現象。些細で壊れやすく、はかなくて脆弱で、後ずさりするような異質を秘め、大半の論理から逸脱するような未知の振動体でしかないようなのに、ときに深すぎるほど大胆で、とびきり過敏な超越をあらわす。部分でしかなく、引きちぎられた断片でしかないようなのに、ときに全体をおびやかし、総体に抵抗する透明な微細力を持っている。
弱さ強さは相対的な価値にすぎない。とかく社会経済界では護身なのか名誉なのか、自身を引き立たせるための作戦として標的を見付ける者が多く出没する。標的になったものは大抵罪のないまま社会からの圧力、いわゆる”いじめ”という名の洗礼を受け「弱い者」としてのレッテルを貼られることになる。その実態が見えるか見ぬかは知らないが、レッテルを貼った者は同時に「強い者」という印ろうを勝ち得た気分に浸る。当然おこぼれにあずかりたい周囲の者も称賛する。それはきっと一過性にすぎないのに。強い弱いなどどうでもいい。人と比較すること自体意味がない。ただ単に自分を高め人の役に立ち自分の中の世界で人生を価値あるものにすればいい。そう思う。
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Yutaka Tonegawa