日本人はしばしば否定精神に立ち、負の発想から出発します。失敗した結果を予測し、「うまくいかないかもしれませんが」とか、「私みたいな者では」と前置きし、自分を愚かで拙い場所に置きます。その根拠に仏教西晋が流れているように思います。中国人は「必ずうまくいく。私ならきっとやれる」と常に楽観的です(毛丹青『にっぽん虫の眼紀行』100ページ)
日本留学時に出会った『歎異抄』の中国語訳を出版した著者のエッセイ。安徽省の黄山に登った著者が、阿弥陀仏を拝む声を漏らしながら豆を選っている老婆に惹きつけられる回想など、筆致がとても優しい。
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Manabu Fukui