浄土宗の独立を宣言した法然は、日本固有の精神風土をつくっている雑行雑修の重層的信仰から純粋の信を回復したが、やがて門弟の間に、師の教えに悖る異議が競い起こった。『選択集』を法然の思想の結晶と受け止めた安居院の聖覚法院は、本書の核心を「唯信の仏道」と見さだめ、先師入滅の十年後に『唯信鈔』を著わしたのである。(中略)その『唯信鈔』を最も尊重したのが親鸞聖人であった。承知のように、親鸞は師匠の法然上人を「よきひと」と尊称したが、『唯信鈔』を著わした聖覚を、隆寛律師とともに「よきひとびと」と呼んでいる。いわば善知識と仰いでいるのである。『選択集』の指教を「唯信の仏道」という一点に収斂した『唯信鈔』に、親鸞は共鳴し、門侶に精読することを薦めた。のみならず、本鈔を、信仰指南の白眉として再三書写して門徒に授け、またその要文を注釈した『唯信鈔文意』を著わした。(「『唯信鈔』講義」p.259 あとがき 安冨信哉)
『歎異抄』と『唯信鈔』に共通する点を細かく解説されていて、法然門下で本願念仏の教えを「信一念」にいただいた法然→聖覚→親鸞の流れについてもう少し知りたいと思っていたところでしたが、これはまさに同じ時代を生きているかのように感じながら読めた名著です。法然上人の「ただ信ず」という立場は聖道門や旧仏教の人々になかなか理解されなかっただけでなく、法然門下でも誤解や一念多念の論争を生じるなど、異解が後を絶たなかったなかでは、第十八願の一願建立の師説を受けつつ、第十七願を加えた二願分相の教学へと傾倒する歴史的必然があったとも言及。法然上人入滅後にますます盛んになった異解に対して親鸞聖人は、聖覚の本鈔を門弟に読むよう薦めただけでなく、自ら本鈔を生涯にわたって少なくとも五回書写された記録が残されており、なかにはひらがなで書写されたものまであり、女性や子どもへも広く教えを弘めようとされたご苦労が偲ばれる。『歎異抄』の著者とされる唯円も、法然→聖覚→親鸞→唯円とつながっていく唯信の教えを正受した方で、『歎異抄』の構成や視点を伺うと『唯信鈔』に辿りつくということを知り、専門書ではありますが、一般の方でも『歎異抄』作成の背景を知るには素晴らしい本です。是非オススメします。
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Manabu Fukui