and more.
11~15世紀の中国の発展と覇権、国内統制はすごかったのだな ... 産業革命に近い状態で、インド洋沿岸にまで植民地があった。
イギリスより700年も前にコークスを使った製鉄産業があったり、数百隻の船でインド洋遠征してたり。でも儒教や皇帝の権威で国内統制とれてたから、儒教の教えを超えて経済が産業革命までつきぬけたり、皇帝の中止令を無視して海外植民地が維持・拡大されるみたいなことは起きなかった。
[1000年ごろ] キリスト教、槍の騎士、新型の農耕具の力によって西ヨーロッパが力を持ち始めた。
それぞれ、
1. ハンガリーやスカンディナヴィア三王国が(規律のない家臣や民を矯正することを期待して)キリスト教を導入したこと
2. あぶみの発明とそれが可能にした、(弓の替わりに)重い槍を持った騎士が現れたこと
3. 大型のすき(鍬)で農業が進歩し、多数の騎士を養えるようになったこと
[組織化された宗教の力が、王と領主(国境を守る軍事力)の対立を和らげた。ササン朝の成功モデル。]
ローマやパルティアなど当時の帝国にとって、国境を守る重装騎兵の領主たちは中央の王権にとって脅威でもあった。けれど、226年にペルシャに興ったササン朝は、宗教の力をうまく使って対立を和らげた。つまり、領主たちの心を捉えていたゾロアスター教を再編して支持を与え、また過去のペルシャ帝国の偉大さの意識を共有した。この統治モデルが、後のビザンティン帝国、西ヨーロッパに強い影響を与えた。
「ふたの開いたビンの中に漂う無数の微粒子」
ユーラシアの遊牧民の諸族の、内部と外部との作用関係とその速いスピードをこのように比喩してる。ざっくりイメージ掴む助けになった。
[中国とローマでそれぞれ「儒教→仏教」「ギリシャ哲学→キリスト教」への乗換が起こる。]
内戦と侵略の厳しい時代にあって、中国とローマでそれぞれ中庸の精神を持つ思想(儒教、ギリシャ哲学)が魅力を失い、「もっと強力な魂の医薬品」が求められ受け入れられた。
[『根無し草』な人々が生み出したキリスト教、ヒンズー教、大乗仏教]
ローマと中国の間に陸路(シルクロード)と海路(インド洋・東南アジア)が確立され、交易の中心となった新興都市では、特定の文化に根ざさない人々の共同体が生まれた。そんな共同体から、それまでの異なる文化、新しい論理、新しい祭儀を取り入れた宗教が生まれた。
1. キリスト教 ~ ユダヤの伝統 × ギリシャの伝統
2. ヒンズー教 ~ ウパニシャッド × (シヴァ神とヴィシュヌ神)の2神に還元されたカースト固有の神々
3. 大乗仏教 ~ 従来の仏教に「人の姿をした救い主(菩薩)」を導入
[『むらさきうまごやし』の革新がシルクロードを生んだ]
農耕の発達で丈夫な馬と重装騎兵を維持できるようになったおかげで、遊牧民(軽装騎兵)と互角に渡り合えるようになった。さらに隊商の道の安全が確保されるようになって、中国とローマの通称が盛んになった。
[同時期のギリシャ文明とインド文明の歩みがかなり違う]
同時期に戦車・騎馬民族が侵攻した2つの地域。
インドでは、多様で包容力のあるカースト制度が生まれ、禁欲的で神秘的な宗教が広まった。
一方ギリシャ周辺では、避難先の半島に明確な領土・法・政治体系をもつ都市国家群が生まれ、人間と世界を (人格を持たない)普遍の法則によって説明しようとする考えが広まった。
この違いどこからきたのか。内陸民族(インド) v.s. 海洋民族(ギリシャ)とか。
[メソポタミア文明とエジプト文明の環境の対比が面白い]
焼畑から灌漑を導入する過程でメソポタミア文明が生まれたけれど、中央集権の維持には多くの工夫が必要で、外部からの襲撃と内紛にしばしば脅かされていた。
一方、少し後に生じたエジプト文明では、周辺の砂漠が外部からの襲撃を妨げ、ナイル川に吹く北風によってモノや情報を効果的に伝達・統制できた。このため古王朝では中央集権が維持され、平和が保たれ、巨大ピラミッドとか芸術・技術が発展した。その代償として、政治的な混乱に大して潜在的な脆さを抱えていた。と言えそう。
携帯でウィキペディアを調べながら、何とか読み切った。下巻を読み切れるかどうかは自信ない。世界史の解説を一番影響力のある時代時代の文明や国と、その周辺国との関係で書いたというもの。「中心ー周辺」のウォーラーステインの世界システム論のように、強大な勢力を中心に人類の歴史が進んできたことがよくわかる。昔も今も何も変わってないですねという感想。何か副読本的なものがあれば読みやすくなるかも。
Wow! ノートはまだありません
Ikuo Matsumura