恩田陸を好きなのだ。とはいえ、文庫化されたことを知ったのは親切な同僚に教えられたからなのだが。単行本未収録短編と対談が含まれていると聞き、速効で買ってきた。Y氏よありがとう。
さて、自伝的と言うところのこの小説は、実に好みなのであった。これ、映画になったらおもしろんじゃないか。てか、どんな映画になるかな、なんて映像的に読んだのだ。その絵は箱崎監督が撮るんだろうな。あ、箱崎は作中人物か。でもきっとそうだ。今私の頭に浮かぶ映像は箱崎の映画に違いない。
ベースをかついでいる戸崎も、一人称でこの小説を書いたのであろう楡崎も、どの人物の台詞にも、私自身の学生時代を想起する台詞がある。どこかで聞かれたのか、と思う。風景にも覚えがある。同じ道を、同じ部屋を見たことがあるような気がする。
本当ではないのに、そんな気がしてくる。
生年が近いこと、育ったところが近いこと、いくつかのベースが文字の中でシンクロしているのでは、と推察するも即座に否定の言葉が浮き上がってくる。
それが恩田陸の小説なのだ、と。
ザキザキトリオの過去を振りかえりながら、私も自分の学生時代を振りかえる。
ワンシーン、ワンシーン、8ミリで撮ったような短い映像が浮かび、シーンがかわる。
なんとも記憶とは曖昧なものだ。
曖昧だけれど、それが私の過去なのだ。
過去は今作られている。
頭の中で、記憶という形で。
記憶は弱まり、薄まり、補強され、補足され、つぎはぎとなり本来の姿を変えながら、それでもそのときあったこと、として残される。そのあいまいさが私を形作る。
ブラザー・サン シスター・ムーンを読みながら、私の記憶をなぞりながら、去来する思いと活字が交差する。
誰かがつくったこの映像を、見てみたい気がする。
違う、こんなはずじゃなかった、と言うかもしれないけれど、この作品が映像化されたら、見てみたい気がする。
Wow! ノートはまだありません
Michi Kawahara